中年、無職、写真を撮る

ささやかな人生の、通り過ぎていく日々を記録する。

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10月の東北旅行の際、フェリーで仙台に着いてすぐ北上して向かったのが蔦沼だった。

朝5時にはもう三脚が並んでいた。

雨が降っていたようで地面は濡れていて、空は雲に覆われていた。風で水面は波立っていて、朝焼けの前に内心いろいろ諦めてしまっていた。

日の出の時間を過ぎてもまだ暗かったけれど、風は収まりつつあるのを感じていた。

雲は切れて徐々に青い空が広くなっていたので、あとは朝日が差せばと、そこにいた全員がそう願っていたと思う。

そして突如、朝日が紅葉を照らした。

虹が出てる、と誰かが言った。小さな歓声がおこった。

 

ささやかな奇跡を目にして、生きていてよかったと思った。

生きててええんやで、と言われているようで、涙が出た。

 

そして僕が撮った写真の拙いこと。恥ずかしくて記事にもしていなかったけれど、むしろ今の僕には相応しいのかもしれないと思い、今更ながら年の瀬に記録しておく次第。

眠れない

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就職を決めてから、眠れない。

正確には、眠るんだけどすぐに目が覚めてしまう。

仕事をしていたときは数年間その状態が続いた。仕事を辞めてようやく朝まで眠ることができるようになっていたのだけれど。

 

新しい仕事をしながら眠れる日は来るのだろうか。

それともまた辞めるまで眠れないのだろうか。

赤目の滝でスマホを落とす

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赤目四十八滝スマホを落としたらしいと、帰り道で気づいた。

防水仕様ではないので雨が降ったら終わり。

不安な夜を過ごして翌朝早々に乗り込んで探したら、あった。遊歩道から外れて川原に下りたとき、足場にしていた石がぐらついてよろめいた場所が怪しいと思っていたら、やっぱりそこに落ちていた。

良い事はあるものだと思った。

小学校

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談山神社に行ったものの今一つで、帰りにたまたま立ち寄ったカエデの里ひららという施設が琴線に触れる良いところだった。

廃校になった旧宇太小学校の木造校舎を残したのは正解だと思う。

 

小学生の頃、というともう30年以上前になる。

僕も変わった子供だったけど、もっと変わった奴がいた。

今では考えられないかもしれないけど、忘れ物を一つする毎に名前の上にバツ印をつけて、それが棒グラフになっていく表が教室に貼られていた。バツ印一つにつき雑巾がけ一往復のペナルティもあったと思う。つまるところアカン奴を晒し者にして罰を与えるという分かりやすい趣向で、大抵の子供はバツ印がつかないように努力していた。

しかし一人、気にも止めず毎日毎日忘れ物をする奴がいた。持ち物を忘れるだけではなく、出された宿題もきちんとやってくることは殆ど無かった。積み上げられたバツ印はついにもともとの紙を突き抜け、彼一人だけのために追加の紙が付け足された。

ペナルティの雑巾がけも積み上がっていたけれど、いつその負債を清算するのかわからなかった。彼はいつも平然としていた。

ある日、担任から宿題の提出を求められた彼はしかし、いつもと様子が違った。

どうせまたやってないんだろうという担任の心無い叱責に彼は猛然と反抗した。

違うんです。昨日は宿題をやったんです。ノートを持ってくるのを忘れたんです。彼はそう言って悔し涙を流した。

担任は生徒をいとも簡単にビンタするような体罰教師だったけれど、さすがに彼の涙には心を打たれたようで、よし分かった今日はバツ印は保留しよう、明日ちゃんと持ってこいよということになった。そりゃ担任として更生の芽を摘むわけにはいかない。

そして次の日、平然と彼が持ってきたノートはやっぱり真っ白だった。

それを見た担任がなんと言ったかよく覚えていないけれど、表にバツ印が加わったのは間違いない。

なぜあの日に限って宿題をやったなどと彼が主張したのか今もわからない。涙を流してまで訴えたなら家に帰ってから宿題をして辻褄を合わせたらいいのに、とも思う。

事情があったのかも知れないとも思うけれど真相はわからない。小中学校の頃は学力や家庭環境が全く違う同級生がいて、それはそれで貴重な経験だった。

あと一ヶ月半

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無職生活も今年いっぱいで終わる。名残惜しい。できれば一生無職でいたかった。

とはいえ、誰かから必要とされることが幸せだということは理解している。

仕事をしていれば出会いはあるもので、誰に対しても別け隔てなく丁寧に接することを心がけてきた。

「君、うちに来て働かんか」と言ってもらえるような仕事をするのが理想だった。ついに前職を辞するまでそのような声をかけられることはなかったけれど、こうして仕事を紹介してもらえるのはかつての仕事を褒めてもらえたようで素直に嬉しい。

 

しかしながら仕事をするとなるとこのブログのタイトルも考えないと。

仕事

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仕事を紹介されてどうしようか悩んでいる。多分働くことになる。

もちろん働きたくはない。当面の生活費にも困っていない。とはいえ一生遊んで暮らせるようなものではない。

いつかどこかで仕事を見つけないといけないけれど、年齢を重ねるごとに条件は悪くなる。

もうしばらくブラブラしていたかったけど、いろいろと事情があって。

家族を抱えて無職で居続けるというのはなかなか大変なのだと思い知った。金がありゃそれでいいと言うわけではないんだな。

 

長期の休みは難しい業態なので旅行はできなくなると思う。それが辛い。

後悔するかもしれないけれど仕方ない。

どうせ人生後悔だらけだ。

それでもこの先、嫌なことばかりではないだろう。今までがそうだったように。