無職、写真を撮る(兼介護記録)

ささやかな人生の、通り過ぎていく日々を記録する。介護離職中。

ありがとう

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特養で暮らす母は肌色も良く、穏やかにしているけれど、「ありがとう」と呼びかける私と目が合うことはほとんどない。どこかよく分からないところを見つめてじっとしている。

それでも、聴こえていると信じて、母が好きだった音楽を流してみる。

私は両親に愛されて育った。母への言葉は多分もう届かないけれど、まだ会話ができる父に精一杯の感謝を伝えて、日々を過ごしている。

特養に入居

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母が特別養護老人ホームに入居することになった。認知症判明から7年。今はもう、立つことはもちろん、端座位すら難しい。意味のある会話も成立しない。それでも、穏やかに過ごす母の姿に癒やされることの多い日々だった。幸せな介護だったと思う。

キバナコスモスを母に見せることができてよかった。

次は、母を追うように認知症が進む父をどうするか、また悩ましい。

日没前後の出来事

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両親の介護を終えて自宅に帰ると、先日無性に聞きくなって発注した鬼塚ちひろのCDが届いていた。

両親の家のじゃがいもと玉ねぎを切らしていたので、歌を聴きながら車で買い物に出かけた。昔よく聴いた「流星群」が流れ始めた頃、運悪く踏切が鳴り始め車を停めた。学校帰りの高校生が何人か乗っているだけの2両編成の列車がノロノロと通り過ぎるとき、車窓に夕暮れの空が映った。

両親のような認知症にならずとも、平凡な一日の終わりに見たこの空の色なんてすぐに忘れてしまう。ふとそう思った。

買い物を済ませたあと、こみ上げる寂寥を抑えきれず、手元のスマホで空の写真を撮った。

花束を君に

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とと姉ちゃんが再放送されていて、久しぶりに宇多田ヒカルの「花束を君に」を聴いた。彼女が亡き母に捧げた歌。改めて、いい歌だと心から思った。

私の母は貧しい家庭に育ったため、高校進学をあきらめ家族を養った。その後も傍から見ればかなりの理不尽に翻弄された人生だったと思うけれど、決して自らの境遇を恨むことなく、朗らかで笑顔を絶やすことのない人だった。

そして母は人生の終わりが近づき認知症を患った。母の人生の最期を悲しいものにしてはいけないと私は思う。もう会話は成り立たないけれど、母に残された時間をより良いものにするため、私にできることはまだあると信じて介護を続けている。

長生きすることへの恐怖

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両親が認知症になったとき、私は自分の将来を突きつけられたような気がした。私もまた、生きていればいずれわが子の名前を忘れ、我が子に尻を拭いてもらうことになるのではないかという気づきは、間違いなく恐ろしいことだった。

認知症判明から数年が過ぎ、母はもう私が誰か分かってはいない。会話が成立しないのはもちろん、呼びかけに反応することさえ少なくなった。こうなる前に伝えるべきことがあったのではないかという思いは強く、おそらくその後悔が、日々母にありがとうを伝える動機になっている。そして、たまに絞り出すように母がありがとうと答えてくれるとき、確かにそれは幸せなことだと感じる。

私が自らの老いに直面するとき、私はきっと、この母の姿を思い出すだろう。私は今もなお母から大切なことを教わっている。

尊厳とは

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夜間の弄便には本当にメンタルを削られるけれども、一番困っているのは本人なのだろうとも思う。

つかまり立ちができなくなりトイレでの排便ができなくなった影響はあまりにも大きい。排泄そのものへの影響はもちろん、頻繁に尿路感染を起こすようにもなった。

私自身は、トイレで排泄する事ができなくなる前に人生を終えたいと願うようになった。自分で何とかできることではないけれども。

声を聞く

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父母と過ごした時間を思い出す日が来ると思うので、二人の写真を撮るようにしている。

先日、故人の声を聞きたいという人の話を読み、動画も残すことにした。

母の状態は日々微妙に変化する。能面のように黙して語らない日もあれば、かつてのようににこやかな日もある。今日は機嫌よく、呼びかけにもしっかり応えてくれた。