中年、無職、写真を撮る

ささやかな人生の、通り過ぎていく日々を記録する。

手持ち撮影

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僕は基本的に三脚を使わない。

風景メインの人間としては異端なのだろうと思うけど、真っ昼間の定番スポットで三脚を並べている人たちを見て不思議だった。ほとんどの場面で、なんで三脚が要るのかわからない。カメラが進化してるのに撮り方は進化してないんだなと、ずっと思っていた。自分の稚拙さは棚に上げて。

風景写真が停滞していると一部の写真家はメッセージを発していたけれど、この状況を打破する人が現れるとしたらそれは三脚を使わない人だろうという確信が僕にはあった。

日本カメラ最新号で「手持ちで撮る風景写真」という特集が組まれていた。

しかし遅い。遅すぎるよ。

ラジオ体操

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今朝、仕事場に向かっているとき車のラジオから流れてきたのがヒグチアイのラジオ体操だった。

初めて聴く歌だったけど、自分のことを言われてるみたいで強く印象に残った。

 

「まけたくない、で突き進めるほど

甘くはないけど

まけたくない、がなくなったぼくに

一体なにができるだろう」

 

「ラジオ体操みたい

きただけでもらえるハンコ

生きただけでもらえるハンコ

よくがんばりましたって押してほしいよ」

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10月の東北旅行の際、フェリーで仙台に着いてすぐ北上して向かったのが蔦沼だった。

朝5時にはもう三脚が並んでいた。

雨が降っていたようで地面は濡れていて、空は雲に覆われていた。風で水面は波立っていて、朝焼けの前に内心いろいろ諦めてしまっていた。

日の出の時間を過ぎてもまだ暗かったけれど、風は収まりつつあるのを感じていた。

雲は切れて徐々に青い空が広くなっていたので、あとは朝日が差せばと、そこにいた全員がそう願っていたと思う。

そして突如、朝日が紅葉を照らした。

虹が出てる、と誰かが言った。小さな歓声がおこった。

 

ささやかな奇跡を目にして、生きていてよかったと思った。

生きててええんやで、と言われているようで、涙が出た。

 

そして僕が撮った写真の拙いこと。恥ずかしくて記事にもしていなかったけれど、むしろ今の僕には相応しいのかもしれないと思い、今更ながら年の瀬に記録しておく次第。

眠れない

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就職を決めてから、眠れない。

正確には、眠るんだけどすぐに目が覚めてしまう。

仕事をしていたときは数年間その状態が続いた。仕事を辞めてようやく朝まで眠ることができるようになっていたのだけれど。

 

新しい仕事をしながら眠れる日は来るのだろうか。

それともまた辞めるまで眠れないのだろうか。