中年、無職、写真を撮る

ささやかな人生の、通り過ぎていく日々を記録する。

小学校

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談山神社に行ったものの今一つで、帰りにたまたま立ち寄ったカエデの里ひららという施設が琴線に触れる良いところだった。

廃校になった旧宇太小学校の木造校舎を残したのは正解だと思う。

 

小学生の頃、というともう30年以上前になる。

僕も変わった子供だったけど、もっと変わった奴がいた。

今では考えられないかもしれないけど、忘れ物を一つする毎に名前の上にバツ印をつけて、それが棒グラフになっていく表が教室に貼られていた。バツ印一つにつき雑巾がけ一往復のペナルティもあったと思う。つまるところアカン奴を晒し者にして罰を与えるという分かりやすい趣向で、大抵の子供はバツ印がつかないように努力していた。

しかし一人、気にも止めず毎日毎日忘れ物をする奴がいた。持ち物を忘れるだけではなく、出された宿題もきちんとやってくることは殆ど無かった。積み上げられたバツ印はついにもともとの紙を突き抜け、彼一人だけのために追加の紙が付け足された。

ペナルティの雑巾がけも積み上がっていたけれど、いつその負債を清算するのかわからなかった。彼はいつも平然としていた。

ある日、担任から宿題の提出を求められた彼はしかし、いつもと様子が違った。

どうせまたやってないんだろうという担任の心無い叱責に彼は猛然と反抗した。

違うんです。昨日は宿題をやったんです。ノートを持ってくるのを忘れたんです。彼はそう言って悔し涙を流した。

担任は生徒をいとも簡単にビンタするような体罰教師だったけれど、さすがに彼の涙には心を打たれたようで、よし分かった今日はバツ印は保留しよう、明日ちゃんと持ってこいよということになった。そりゃ担任として更生の芽を摘むわけにはいかない。

そして次の日、平然と彼が持ってきたノートはやっぱり真っ白だった。

それを見た担任がなんと言ったかよく覚えていないけれど、表にバツ印が加わったのは間違いない。

なぜあの日に限って宿題をやったなどと彼が主張したのか今もわからない。涙を流してまで訴えたなら家に帰ってから宿題をして辻褄を合わせたらいいのに、とも思う。

事情があったのかも知れないとも思うけれど真相はわからない。小中学校の頃は学力や家庭環境が全く違う同級生がいて、それはそれで貴重な経験だった。