中年、無職、写真を撮る

ささやかな人生の、通り過ぎていく日々を記録する。

折り返し点はとっくに過ぎている


f:id:photo77:20230604180320j:image
人生はやり直しの利かない一度きりのものだということが今頃になって怖くて仕方ない。情けない話だと思う。私は本当にちっぽけな人間だ。

日々をふらふらと過ごしながら、それでもこの自分が生きた証を何かしら残したいなどと心の何処かで願っている。ならまず働けよと、普通は思うだろう。

無知で煩悩にまみれている状態を仏教では「無明」というらしい。私にふさわしい言葉だと思う。どうしようもないダメ人間であることを自覚していながら、それでも人生の最期には皆にいい人だったと言われたい。出来る奴だったと言われたい。

人生は短いと、偉大な先人は言った。そのとおりだと私は思う。

老いるということ

f:id:photo77:20230525205517j:image

いつもの場所で日没を撮って帰宅したものの、駐車場から眺めた雲の形が気に入ったので、引き返して撮った写真。

 

 

両親の老いていく姿に、私は自分の将来を見る。

今日も母は朗らかに生き、しかし、私の名前を思い出せなかった。

遠くない将来、父も母の後を追うだろう。そしていつかその日は私にも訪れる。

 

幸せな一日が過ぎるごとに、一日分だけ別れが近づく。誰もが同じく。

そのことを意識して日々を生きられる幸運に今は感謝している。

久々に空の写真を

f:id:photo77:20190919181540j:image

こんなにたくさん一度に降りかかるのかと言いたくなるほどいろんなことがあって、それでもまあ何とかやり過ごしているけれども、無職の日々は本当に良かったと思う。

この写真は昨日撮ったもので、一旦赤くなりかけたものの色を失い、諦めて帰りかけたときにほんの僅かな時間再び色付いたときのもの。